ほんのちょっとだけ中身ついて語ってみる2

今回は『キャラクター性に潜むカオス』についての紹介です。この評論が誕生した切欠はですね……『マイナー性から見る現代小説、ライトノベル』を書き上げた直後の心理状態ですね。それはそれはもうハードボイルドな内容になってしまい、よし次はライト?でポップ?な評論で行こうということが脳内で決定したわけです。でも一本書き上げた直後にもう一度、俺はやるぜ! ってなるわけも無くとりあえず三日ほど現実逃避をすることにしました。で、本棚から西尾維新を引っ張り出して、やっぱり西尾は面白いなーとかニマニマしながら読みまくっている最中にふと思いついてしまったのがコレだったのです。
この評論を簡単にまとめてしまうと、作品世界における複線の回収が読者に与える影響について書いています。作品における複線の放置に関しては読者の間で様々な議論を巻き起こすわけです。某巨大掲示板のとある作品スレッドを見れば日夜、アレはああだどうだと喧々諤々じゃないですか。これは読者の、何だか判らないものを判りたいという心理から発生しているわけです。それを「カオス(読者にとっての判らないもの)を秩序化する(判るものとして把握する)こと」として分析的なものをしてみようと。で、カオスがもっとも判りやすい状態で表されているのがいわゆるミステリですよね。だから成分としてはミステリ(西尾をミステリと呼ぶと一悶着あるかもしれませんが)が多めなことになっています。
で、この評論の目的についてですが、これを語るにはだからミステリについて言及しなくてはならないですかね。最近はミステリの殺人事件とか探偵役の解決とか何かマンネリ化してしまった感があります。これはミステリが登場して大分年月も経っているわけですから、様式美として仕方が無い。まあ、ミステリにもその間にいろんな流れがあったわけで全く変化していないということはないんですけども。しかし、最も大きな変化といえるのはメタミステリ、アンチミステリのあからさまな登場でしょう。これらはミステリ読者に新しい快楽として提示されたものなんですが……俺は何だかそれも飽きてきたなー、と。そこで前段落の分析をすることによって読者が作品からカタルシスを得る方法について新しい形を提示してみようということです。そのキーポイントこそが、タイトルにもあるキャラクターなわけで……しかし、このキャラクターについて語ると大きく内容に踏み込んでしまいます。なので続きは評論で読んでみてください。いろいろとぶっちゃけてしまいましたが、西尾好きなら結構楽しめる内容だと思います。