いや、たまにはまじめな話もしようとね。

雑誌も出来一安心と思いきや、俺には大切な仕事が残っていた。それはPlateauの宣伝。坂上はどうやら忙しいらしいので、俺がビラを作る。しかし、俺はビラなんてまったく作ったことがない。どうしようと思ってid:kugyoに相談したらいとも簡単に作ってくれた。スゲーと驚嘆し、そのセンスの良さに脱帽する。いや、俺もちょっとは口出したりしてましたよ?

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今日は夏休みが終わって初めて学校に行った。以前、パネリストとして東さんが出席した表彰文化学会で司会を務めた、芳川泰久先生の講義に出席してきた。講義名は「フランス小説」で、芳川先生がバルザックプルーストについて何が凄いのかひたすら語り続けるという授業だ。後期になって初めて出席したのだが、初っ端芳川先生が結構考えさせられることを仰った。「最近の学生は文学に対する姿勢が甘い」のだそうだ。文学部に所属しながら、まったく文学というものを知らずに卒業していく生徒が少なからず存在し、その状況を何とかしたいらしい。確かにいまの大学において、文学部(文献学部なわけですが)で文学を勉強する人たちは少数派になりつつある。たいていの人の場合、大学は学問をやる場ではなく単に学歴を作るためだけの場にシフトした感があるし。まあそれはある意味仕方ないのかなと思うけど。
でも俺は大学に文学をやりたくて来たし、俺の周りにも結構そういうやつはいる。いつの時代も物語の力に魅了され、物語の追求にこそ生きる意味を見出すやつはいるものだ。もちろん俺もそうで、この世にラノベやノベルゲーや小説が無かったらとっくに世を儚んで死んでいると思う。まだまだやる気ある生徒はいますよ、と。
しかし、ただ物語をただ受容するだけの人たちがいるのも事実。たとえば、ノベルゲーだけを受容し、その凄さだけを語る人たちとか。いや別に俺は否定しませんよ。だけどちょっとくらい古典小説を探ってみろよ、と。そこらへんのただ内容を垂れ流すだけのエクリチュールなんか霞むほどの構造、内容、文体の完成度があると思うから。だから大学で知り合った人が「ラノベしか読まない(ノベルゲーしかしない)。でも物語は好きだから文学部に来た。将来は作家になりたい」とか言うと、おいおいと思ってしまう。
芳川先生の口癖は「文学を知らないものに小説を書くことは出来ない」だ。俺もまったくその通りだと思う。文学を知らないものに新しいラノベやノベルゲーを書いたり作ったりすることはできない。もしできたとしてもそれは、どこかで見たことのある劣化コピーに過ぎない。なぜなら「新しいもの」は何が「新しいもの」か判らなければ創り出すことができないと思うからだ。
でも芳川先生、この状況を変えるためとか言っていきなり初見のサイードをその場で生徒に訳させるのは辞めてくださいー。ますます文学離れが加速しますよー。