「オタク的感性のゆくえ――美少女ゲームの現在について」について少し語ってみる

お疲れ様です、坂上です。一昨日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/syusei-sakagami/20081006/1223313564)を「カトゆー家断絶」さまに取り上げてもらえたおかげでアホみたいにカウンターが回っており、嬉しいやらおっかないやら。11月9日に文学フリマ(@秋葉原)で売る同人誌にも美少女ゲーム論載せてますので興味ある人は是非買いに来てくださいな。
で、その内容ですが「オタク的感性のゆくえ――美少女ゲームの現在について」と題しまして、2004年以降のエロゲーの状況について語っています。2004年以降というのには理由があって、この年に東浩紀さん編集のもと更科修一郎さんや元長征木さんらのインタヴュー等を収録した『美少女ゲームの臨界点』という本が出版されています。タイトルの通り、本書では(特に対談である「どうか、幸せな記憶を。」の中では)美少女ゲームの未来に対してかなり悲観的な見解が述べられています。けどちょっと待ってくれよと。まだまだエロゲー終わってないよと、僕としては声を大にしてそう言いたいわけなんですね。
「どうか、幸せな記憶を。」の中で、東浩紀さんは奈須きのこさんの登場が一つのオタク的フォーマットを終わらせてしまったと語ります。確かに2000年以前の作品と2004年あたりの作品を比較すると色々なものが変わってしまったという事実は認めざるをえません。僕は批評の中で「不気味なもの」と呼ぶ形で扱いましたが、「雫」とか「MOON.」にあったような独特の雰囲気は徐々に姿を消しつつあります(ハジとかスノコとか毒電波とかね)。ただ、そうした「不気味なもの」がなくなったからといってオタク的な感性が消滅するとは言えないんじゃないのかと思うわけです。
「オタク的感性のゆくえ」の内容を一言で表せば「東浩紀批判と美少女ゲームの未来」ということになります。奈須さんの登場によって確かにパッと見の風景は変わった、しかしオタク的な感性は形を変えて残っているというのが僕の主張です。そして変化したオタク的感性は現在どのような形で具体的な作品に関わっているのかという点についても考察しています。
これ以上話すとネタバレになってしまいそうなのでこの辺りで。確実に言えるのはある程度美少女ゲームが好きな人なら絶対に楽しめる内容になっているということです。今回の同人誌で僕は4本の批評を書き、どれもなるべく多くの読者に理解してもらえるよう親切な記述を心がけたつもりですが、「オタク的感性のゆくえ」に関してだけはそうした配慮をほとんど行っていません。かなりコアな文章になっています。しかし、もともと美少女ゲームというのはある種閉鎖的なジャンルですし、そうであるからこそ特殊な美的価値を産み出して来たとも言えます。今回の批評ではそこを重視しました、美少女ゲームに全く聡くない人にも「ああ、なんかエロゲって実は凄いもんなんじゃないか」という雰囲気は伝わるはずです。
エロゲについて真面目に語った論考というのは恐ろしく少ないです。それこそ東さんの『美少女ゲームの臨界点』くらいしか有名なものはなかったりします。で、僕自身もエロゲに対して本当に批評は必要なのかという問いを長年持っていたんですが、今回一本書いて確信しました。美少女ゲーム批評は必要だし面白い。今回メインで扱った作品は「Fate/stay night」、「キラ☆キラ」、「マブラヴオルタネイティヴ」といったところですが、批評を読んでもらえればこれらの作品の新しい魅力にも気付いてもらえるはずです。このあたり興味ある人は是非足を運んでください、ある意味では批評の面白さと重要性を最も端的に表せたコンテンツかと思っております。
あ、あと批評の中に名前が出てくる作品を列挙しておきます、今見ると随分色々出てくるなあという感じです。

●「オタク的感性のゆくえ――美少女ゲームの現在について」で名前の出した作品
「雫」、「MOON.」、「痕」、「ONE」、「果てしなく青いこの空の下で」、「パルフェ」、「世界で一番NGな恋」、「Fate/stay night」、「エヴァ」、「クビシメロマンチスト」、「ヒトクイマジカル」、「美少女ゲームの臨界点」、「キラ☆キラ」、「kanon」、「To Heart」、「CLANNAD」、「つよきす」、「最果てのイマ」、「AIR」、「マブラヴオルタネイティヴ」、「ひぐらしのなく頃に

そんな感じです。読者の去勢についての批評に関しては以前軽く紹介したので後回しにするとして、残りのコンテンツについても早めに喋っておきたいなあと思っています。表紙とか、DTPデザインとか、そういうところまでひっくるめて、同人誌、期待していてください。