「クレオール化する日本文学」について少しだけ喋ってみる

おはようございます、坂上です。ちょっと更新の間が空いてしまったのは、前回のエントリに載せたPlateauの表紙をなるべく長くTOPに置いておきたかったからだったりします。今度誰かに特定のエントリをTOPに持ってくるやり方について尋ねてみます。
で、「クレオール化する日本文学」についてですが、最も思い出したくない原稿ですね、苦労しすぎました。確か最初に書き上げた時に23000字くらいになって、多すぎるから2p削りなさいとデザイナーさんに言われたものの、論が破綻しないように2p分の字数を削るという作業は予想以上に難しく、文末や論旨の調節をしながらどうにか28pに納めることに成功したのでした。とかね、今更のように愚痴を言ってみたり。
前回のエントリでもちょろっと書きましたが、「文芸批評の全体性」を考えるというのがこの批評の目的なんですね。そしてそうした「全体性」を考える上で、「クレオール化」という概念は外せないということでこのような表題をつけています。クレオールという概念についてちゃんと説明しようとするとアホみたいに長くなるので、詳しくは同人誌本体を見てください、相当に長い脚注をつけておきました。
クレオール化する日本文学」は三章構成になっています。
まず第一章、ここでは柄谷行人さんと宇野常寛さんとを取り上げます。二人の批評家の仕事を僕は高く評価していますが、両者の文学観の中には、「全体性」を阻害する致命的な問題が含まれているというのが僕の認識です。その問題を論理的に浮き上がらせるというのがここでの課題となっています。『近代文学の終り』と『ゼロ年代の想像力』。この二冊がどのような共通した問題を抱えているのか、そしてその問題を思考することが如何に重要なのか、まずはそれを伝えることから始まります。
そして第二章、東浩紀さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』についてガガガと言及しまくる章です。僕はあまりこの本に対してしっかりと評価した批評や言説を知らないのですが、この本は単に純文学VSライトノベルみたいな構図を作り出す本ではなく、もっと大きな問題、「全体性」へと繋がる問題を含んだ著作です。そのことを指摘するとともに、より大きな体系の中に本書を組み込むことで何が言えるのか。それを考えてるのが第二章です。
最後に第三章。ここでは章題も「クレオール化する日本文学」として、徹底的に「全体性」とそのために必要な<関係>の問題について考えていきます。この批評、自分でも面白くできたなと思うのは、最後の章が最も抽象的に書かれてるんですね。最初に大きな問題提起をしてそれを分析すると言う形ではなく、先に一章と二章で具体的な話をしてからより大きな話へとスライドさせていく。こうした文章が書けたことにはなかなか満足しています。で、クレオール化の問題について言及した思想家として前回も述べたグリッサンがいるわけですね。グリッサン、日本ではあまり名前知られてない気配(多分、邦訳四冊しかないです)ですけど非常に魅力的な文章を記す思想家です。彼の思想を参照しつつ様々な問題系について述べていくのが本章です。「混合」とは何か? <関係>とはなにか? 「全体」と「全体性」の違いは? 他者とはなにか? などなど。こうやって列挙してみるとやたら堅苦しい感じがしますが、ちゃんと最後は「日本文学」に着地しますのでご安心ください。
ちょっと、本文から引用してみます、第二章の最後のあたりですね。

日本文学はクレオール化の可能性を秘めている。私はこの認識から再び議論を始めたい。ただしそれは具体的な作品分析に向かうことを目指すものではなく、いかにして外部への接続が困難な状態でアイデンティティーを確保し、「批評的枠組み」によって文学の多様性を保持するかという抽象的な方向に向かうことになる。それはポストモダン的状況下の文学に対し批評がどのような姿勢をとるべきかという根源的な問題にも繋がっていくはずである。

ここだけ抜き出すとやたら大上段に構えてる感じがしますが、ともあれ、「批評はいったいこれからどうすればいいんだ!!」を考えることは確かに「クレオール化する日本文学」における重要な問題なのです。きっと第三章である程度の答えには辿りつけているんじゃないかと思います。批評、まだ、死んでない、とか、そんなきわどい希望を持っている人たちに是非とも読んでもらいたいです。
とまれ、別に「批評とはこうあるべきだ」みたいな一元的解答を示すような論でないことも確かです。微妙にネタバレになりますが、そうした一元的要素は「全体性」を阻害する要因となってしまうからです。ある程度の結論を出しながら、それを部分的には宙吊りにできたという点で、この批評はよくできたと思っています。読む人も、書く人も、行き詰ってる人も、浮かれてる人も、この批評を読んで「批評」について新しい視点を獲得してもらえればなと、そんな願いから書きました。読んでいただければ、幸い。

多様なるものの詩学序説

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