「Plateau」の表紙とか内容とかについて喋ってみる

どもども、坂上です。文学フリマまでもう一ヶ月切ってるわけですが、最早何をすればいいかわからず、幾分迷走した生活を送っております。近いうちにビラが完成するので色んなところでばらまく予定です。
で、表紙の方ですがこんな感じになりました。

ほとんどデザイナーさんにお任せする形になりましたが、すっげえ綺麗な表紙に仕上げてくれたと思います。マジで感謝です。「Plateau」に関しては、当然批評の出来を気にして欲しいのですが、デザインの素晴らしさにも注目してほしいのです。最初の二つのコンテンツが二段組、残りの五つが三段組で作られてますが、どちらも非常に見やすい原稿になっているはずです。僕はもともとDTPデザインのことを全く知らなかったので、今回色々とデザイナーさんの仕事内容やこだわりの部分について話を聞き、まさに眼からウロコ、デザイナーって凄いなあと感心させられる日々でした。おそらく、レイアウトの美しさに関しては他チームの追随を許さないものに仕上がっていることでしょう(や、他のチームのやつ見てないですけど)。なので東さん、太田さん、そして読者のみなさんにも、是非文字組みの見事さや表紙の美しさまで見てもらえればなと思います。
もちろん、肝心の批評の方も充実した出来になっていると思われます。とりあえずラインナップとしてはこんな感じ。

クレオール化する日本文学(坂上
・資本主義の抑圧と物語の可能性【ゼロアカ自著要約】(山田)
・去勢されゆく読者たち(坂上
・キャラクター性に潜むカオス(山田)
・マイナー性から見る現代小説、ライトノベル(山田)
・オタク的感性のゆくえ――美少女ゲームの現在について(坂上
・パロディの世紀と文化の未来【ゼロアカ自著要約】(坂上
これに加えてコラムが三本あったり、目次とあとがきがあったり、という感じになります。それぞれのコンテンツの内容については、(一部語ってしまったものもあるけれど)明日から順に紹介していこうかと思っています。その紹介が終わったあとに、ゼロアカに思うことやフランス乞食に勝算はあるのか!?などの疑問についても述べていきたいと思います。なにか訊きたいことありましたらコメント欄にでも書いてください、出来る限り対応します。
その前に同人誌全体の方向性について少し喋っておきます。ブログ開設時にも書きましたように、「Plateau」は幅広いジャンルを横断する文芸批評誌です。それこそいわゆる純文学からライトノベル、ミステリー、美少女ゲームなどなどまで扱っています。けれど、これは単に色んなジャンルをごちゃまぜにしようとか、ジャンルに垣根なんてないんだとか、そういった主張とは全く別のものです。僕たちが今回考えたかったこと、それは何よりもまず「文芸批評の全体性」です(これは6月くらいから考えていたことなので東さんが動画で「全体性」と言った時にはだいぶハラハラしました)。文学の全体性ってなんだよ?ベストセラー飛ばせば全体性を確保したことになるのか?網羅的に全てのジャンルを扱えばそれは全体的なのか?などなどの疑問に答えたいというのがこの批評誌の一番の目的だったりします。一本目のコンテンツである「クレオール化する日本文学」を読んでもらえれば、だいぶこの疑問は解消するのではないかと思うのです。詳しいことは明日以降述べますが、この批評の中で僕はマルティニックの思想家であるエドゥアール・グリッサンの思想を手がかりにしつつ「全体性」について考察しています。ある意味、この批評が残りのコンテンツに対してのメタ批評になっていて、残りの6つはそこで述べられた批評のあり方を実際に体現したものになっていると言えます。少し言い方を変えれば、一本目のコンテンツでこれから先日本の文芸批評はどのように動いていくべきなのかという抽象的な話がなされ、残りのコンテンツが実際にそこで述べられた新しい批評を具体化するものになっているということになるでしょうか。
いずれにしても、物凄く統一感のある雑誌になっています。広い意味での「文学」や「批評」が好きな読者にはたまらない一冊になっているはずです。「Plateau」を読み終えたときに、「いろんなジャンルについて話をしてたけど、なんだか一つの核みたいなものがあったなあ」と感じてもらえたら、これはもう最高ですね、嬉しくてしょうがありません。その意味では批評誌という体裁を取りつつ、一冊の本として読んでもらうこともできると思います。少なくとも、そう読めるだけのクオリティを獲得したと自負しております。期待してもらって大丈夫です。あと、サブタイトルにもありますが、Plateauは「ゼロ年代読者のための文芸批評誌」です、なので扱っている作品はかなり最近のものが多いし、言及した論者も今をときめくようなホットな人たちが中心だったりします。2008年に読まれるということをかなり意識して書いています。50年後に読んでも何を言っているかわからないかもしれない、しかし俺たちは今現在読まれ今現在を変えていくような批評が書きたかった。その辺りの思いが伝わるといいなあ。
おおまかな方向性についてはこんなところでしょうか、個々のコンテンツの話はまた後日。それでは。