『ヘルマフロディテの体温』に思うこと

こんにちは、坂上です。いつの間にやら『俺たちに翼はない』の発売日が2009年1月に延期されていました。限りなくショックです。今回ゼロアカ用の同人誌に載せる美少女ゲーム論で「や、東さん、まだまだエロゲ行けますから大丈夫ですよ」的なことを書いたけど、2008年は本当に不作の年でした。あまり今年はエロゲをやってないというのもあるんですが、ギリギリ面白かったと言えるのは『G線上の魔王』くらいのものではないでしょうか。フォーチュンアテリアルとかマジでどうでもいいし。とりあえず「俺つば」に2008年の希望を託していた僕はショックを隠せません。傷を癒すためにちまたで評判になっている同人ゲーム『ひまわり』をやってみたいと思います。
小島てるみの『ヘルマフロディテの体温』を読みました。嫉妬してしまうほどに美しい小説で、久しぶりの充足感。タイトルの通り、半陰陽(=ヘルマフロディテ)を巡って女装癖のある主人公やペニスを残したまま娼婦となって生活する女性が動き回るお話です。舞台をナポリに設定しているところが幻想的な雰囲気をより強調する感じになっています。小池真理子さんが帯で「翻訳書を思わせる文体。妖しい香り。優雅で秘密めいた、散文詩のような作品」と記している通り、とにかく文章が美しい。少し引用してみます。

僕はジュリアの部屋に入った。彼女が愛用しているミルラの香水のあまい香りが漂う。鏡ばりのクローゼットの前に立つと、眼鏡をかけた二十歳の青年と目があった。  
くせのない黒髪、切れ長の黒い瞳。端正な顔立ち。青年がにっこり笑う。  
吐き気がした。僕はこいつが大嫌いだった。  
青年の笑顔に亀裂が走る。別人のように冷ややかな表情に変わる。  
僕はクローゼットを開けた。ジュリアはおしゃれなパリジェンヌのように黒を基調としたシックな着こなしがうまい。その上、かなりの長身で、細身の僕とは体型がほとんど同じだった。  
運の悪いことに。
僕は裸になり、黒いレースのショーツガーターベルトをつけた。黒いストッキングをはき、黒いミニのワンピースを着て、かつらをかぶった。さらさらの長い黒髪が肩にかかる。僕はルージュをひき、マスカラをつけ、マニキュアをぬった。  
鏡から目がはなせない。何をしているんだ? なんでこんなに興奮するんだ?  
闇よりも黒い瞳が、僕を挑発する。鏡に映るのは、この上なく淫らな女の顔。男を堕落させる誘惑者、最初の女リリスの顔だ。真っ赤な血に染められた爪が、精液で汚れた。  
僕はナポリが嫌いだ。スペイン地区が嫌いだ。僕は自分が大嫌いだ。(p.18-19)

主人公であるシルビアが、同居人であるジュリアの外出中に彼女の服を使ってこっそりと女装するシーンからの引用です。や、ほんとに綺麗な文章だと思います。「真っ赤な血に染められた爪が、精液で汚れた。」とありますが、凡庸な作家だと「僕は自分の痴態に嫌悪と劣情を覚えながらペニスをこすった。飛び出した精液が真っ赤にぬられた爪にまでかかってしまった。」というように、もう少し情報量を増やした書き方をしてしまうと思うのですが、小島てるみの場合そんな親切な書き方はしない。いささかブツ切りになっているようにも見える文章がこの上ない色気をかもしだしている。
いや、ほんとに素晴らしい作品でした。間宮緑の早稲田文学新人賞受賞作である『牢獄詩人』を読んだ時にも同じような美しさを感じましたが、こういう文章を拾い上げてくれる新人賞があるというのは凄いことです。『ヘルマフロディテの体温』、これランダムハウス講談社新人賞の優秀賞を受賞している作品です。ランダムハウスは外国を舞台にした小説に甘いところがあるのですが、これを掬い上げたことにはひたすら感謝、今後ともチェックしていきたいと思います。
どんな問題意識があるかとか、どんな社会性を持つのかとか、そんなことはどうでもよくって、小説において何よりも大事なことは、いかに美しさを創り上げているかではないか。そんなロマン主義的快楽にひたらせてくれる作品でした。オススメです。この小説にはトランスセクシャルや両性具有とかがふんだんに出てくるので、フェミニズム批評とかも行えるんだろうけど、そんなものはクソ食らえだと言えるほどに、文体の強度を見せ付けてくれました。複雑な構造をとっていて思わず批評を書きたくなる小説と言うのもよいですが、批評という行為自体を無粋なものにしてただ快楽だけを与えてくるという小説に身を委ねるのも、やはり幸せな遊戯であると思うのです。