いわゆる「ギャルゲー」という単語について

こんにちは、坂上です。同人誌を作る際の参考になるかと思い『ドージンワーク』を全巻読み返したんですが、なんの役にも立ちませんでした。むしろ、文フリ用に作った同人誌が売れず、露理に「このクズが」と罵られる自分の姿をリアルに想像してしまって悲しくなりました。
ギャルゲーって単語。これなんとかなりませんかね。なんでもいいんですけど、例えば同人ゲームに『悪の教科書』という作品があるんですね、ノベルゲームの形式をとっていて、かなり人気もありました。色々批評的な読み方のできる作品です、勝手な予想ですけど宇野常寛さんとか気に入るんじゃないでしょうか。「引き篭もってオドオドしているだけではなにも変わらない。それが悪であろうと行動を起こさなければ生き残れない時がある」というあまりにもわかりやすい決断主義の必要性を説いている作品なので。ただ、ここで僕は内容に立ち入りたいわけではないのです。この作品は恋愛要素がほぼ皆無で、その意味で決してギャルゲーではない、そうなんだけど少なくとも僕は――できれば他のみなさんにも同じ感覚を抱いていてほしいのだけれど――諸々のギャルゲーと同じ位相でこの作品を捉えている。『Fate/stay night』の話をしていて、次に『悪の教科書』の話が出てきても全く違和感はないんですね。そういう意味でギャルゲーって単語は実際の消費者が有している感覚と幾分乖離してしまうわけです。これはちょっとマズイ。
けれどこれに代わる単語ってなかなかないんですよね。僕が一番好きなタームは「エロゲー」なんですけど(一番堂々としている感じがするので)、これを採用すると今度はひぐらしときメモが省かれてしまう。PCゲームって言うと戦争シミュレーションとかのイメージに近い。東浩紀さんが本のタイトルとして使った「美少女ゲーム」という言葉も美少女が出てこない作品が含まれなくなってしまう。あ、物凄い蛇足ですけど、「美少女」と「萌え」って馴染まない感じがします。これは僕だけかもしれないけど「美少女」って言われると澁澤龍彦的な(四谷シモン的でもいいや)人形的な美しさを連想してしまうのに対して、「萌え」って言われるとどちらかというとちっこくてプニプニした女の子を思い浮かべてしまいます。具体的に言えばセイバーが「美少女」で月宮あゆが「萌え」って感じでしょうか。両方兼ね備えてるキャラクターとなると意外に少ない気がしますね、パッと思いつくのは高屋敷茉理くらい。
で、話を戻しますと、僕としては本当は「ビジュアルノベル」という単語を使いたい。これだと幾分「オタク的なもの」から遠ざかってしまう気もするけれど、それぐらいの批評的距離を置くのが丁度いいと思うのです。いわゆるギャルゲーはオタクしかやらない、という認識を改善することにも繋がると考えられるので。ただ、これをいきなり使ったら読者の大半は困惑するでしょう。仮に文フリで出す同人誌に「ビジュアルノベルの現在」みたいな批評をのっけても違和感があると思うんですね、少し堅苦しい感じがする。この違和感は決定的に重要な問題を孕んでいます。ギャルゲー、あるいはエロゲーというシニフィアンがオタク的感性と分かち難く結びついているがゆえに、ほぼ同じ領域を指す言葉としてビジュアルノベルという言葉を採用するとしてもそこからオタク的感性というシニフィエは逃げ去ってしまうという事態がここでは生じているのです。言い換えれば、この領域においては実際にどのような作品があるのかという事実よりも、記号(あるいは名前)としてのギャルゲー・エロゲーが優先的に機能しているわけです。したがって、ギャルゲーという言葉が前提とするもの、言語ゲームとして機能している点を見過ごしていきなりビジュアルノベルという言葉を採用してもそれはちょっと読者にしこりを残してしまうことになると思うのです。
先ほど批評的距離をとるべきだと記しましたが、それはオタク的感性を放棄しろという意味ではありません。むしろ僕は90年代における正の遺産として「オタク的なもの」を重視しています。それがなければギャルゲーの類は他のジャンルで代替可能なものになってしまうので。
理想の形として、ビジュアルノベルがオタク的感性を含んだタームとして機能する環境が整備される時の訪れを信じたいですね。そうすれば批評的距離をとりつつ「オタク的なもの」を保存することができるのではないかと思います。もしくはエロゲーという言葉が一定の人々に忌避感を与えるものでなくなればいいのですが、それは僕の経験上難しいです。