『Final Critical Ride 2』にエヴァ破論を寄稿しました

東浩紀宇野常寛プレゼンツの『FCR2』に、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」論として「ロールトラブルと記憶の海」を寄稿しました。

『Final Critical Ride 2』目次
【グラビア&インタビュー】松田賢二 【対談】東浩紀×宇野常寛 聖地巡礼2――平成仮面ライダー補完計画 MISSING ACE随行記:浅子佳英)
〔特集〕エヴァ/ヱヴァ2009 【対談】東浩紀×山本寛 ヱヴァンゲリヲン:破――――You can(not)publish 【鼎談】東浩紀×伊藤剛×竹熊健太郎ドラッグムービーとしての「ヱヴァンゲリヲン」――DAICON FILMから「破」へ
【対談】宇野常寛×荻上チキ エヴァの記憶/呪縛から世界を解放するために 【論考】稲葉振一郎 セルフ・パスティーシュとしての『ヱヴァンゲリヲン』二次創作的欲望 【論考】坂上秋成 ロールトラブルと記憶の海 【特別寄稿】入江哲朗 少年よSANA SAMBAにノって踊れ
【付録CD】決断主義トークラジオAlive4 東浩紀×宇野常寛×濱野智史×李明喜×浅子佳英etc //////『Final Critical Ride 2』


12月31日のコミケで売り出されるので、興味のある方は――いや、エヴァ破を好きな人は漏れなくご購入いただけるといいのではないかと思います。今回僕が書いたものは、今日本にあるエヴァ破批評の中で一番面白いものに仕上がっているという自信があるのです。

今回のエヴァ破への反応は大体3パターンに分類できます。
①俺たちの好きなエヴァ(旧エヴァ)はとっくに終わってるんだよ!今更くだらないリメイクなんかすんじゃねえよ!!派(=保守派)
②マジレベル高いラブストーリーだったなー、これなら彼女連れて観に来てもよかったなー派(=新規客層)
③批評的に語ることはないけど、映像は素晴らしいし、それでいいんじゃないですかね派(=東浩紀
細かく見ていくと二次創作派とかカヲル萌え派とかあるんだけど、基本的には上記の三つのどれかにみんな納まるんじゃないでしょうか。さて、日本で一番面白い批評を書いたとかのたまう以上、当然僕の立場は3つのうちどれにも属さないわけです。

①②③の立場の問題は、新エヴァと旧エヴァを切り離して考えているか、もしくは新エヴァを単なる二次創作とみなしてしまっているという点にあります。しかし、二次創作自体は同人誌やMADで山のように出てきているわけです。そうである以上、ここで立てるべき問いは「公式に庵野秀明エヴァンゲリオンをリビルドすることの意味(効果)はどこにあったのか」というものにならなければいけない。

まず旧エヴァ(テレビ版+EOE)があった。そして新劇場版が作られた。けれど、両者の間には膨大な二次創作の海が横たわっている以上、その海の先に作られた新劇場版は単なる二次創作以上の効果を持つものになってしまった。これが僕の基本的な立場です。④間テクスト派とか言っておこうかと思います。

さて、かつての旧エヴァは主に社会問題――オウムやキレる若者と並べる形で論じられてきました。それは宮台真司さんの論文からも明らかです。あるいは、東浩紀のようにアニメ史の中にエヴァンゲリオンを位置づけようとする形での批評も行われた。しかし、どちらの方法もエヴァ破を論じるには適していないというのが僕の考えです。エヴァ破の「一見すると」健全化したストーリーの中に社会の闇は見出せないし、ゼロ年代のアニメの流れからも浮いてしまっている。つまりは外部の参照項との緊張関係をエヴァ破は持っていないわけです。

しかし、考えてみればこれまでエヴァを単的に自立した芸術作品として語ろうとする批評はあまり存在しなかったのではないか。そうであるならば、外部コンテクストと切り離されたところでエヴァ(ヱヴァ)をどのように語ることができるのかという問いが自然に浮上してきます。それに真っ向から応答を試みたのが今回の批評です。

「ロールトラブル」とか「記憶の海」について語りだすとネタバレになってしまうのでこの辺りにしておきますが、とりあえず読んでもらって損はない……はずです。よろしくお願いします。

ちなみに今回、東×伊藤×竹熊鼎談(朝日カルチャーセンターでやったやつ)の構成も務めさせてもらいましたが、これを読むと東浩紀という批評家の、エヴァ破のみならず映像作品全般へのスタンスがよくわかるようになっています。もちろん僕は東さんの意見に全面的に賛同するようなことはないですが、そこで語られるドラッグムービーとしてのEVAの話は重要です。

しかし、今回の原稿を書いていたのは実は7月くらいなのですが、はるか過去の出来事のように思います。7月いっぱいと8月上旬は本当にエヴァ破のことしか考えてなかった。一度企画自体が潰れてしまって、日の目を見ることはないかと思っていたので、今回こうして届けられる形になって本当によかった……
個人的な話になりますが、僕が初めて批評っておもしれーなーと思ったのは、『郵便的不安たち』に収録されている東浩紀エヴァ論を読んだ時だったりするのです。なので、今回その東さん企画の本で自分のエヴァ論を発表できるというのは、過去の自分(仮定法過去ではなく、現在と軸を共有している自分)への祝福としても、すげえいいことなんじゃないだろうかと思ったりします。

ゼロ年代が終わるその日に『FCR2』は出ます。雑誌全体について何かを断言するようなことはできないですが、自分の批評が次の10年の脈動を予感させるものになってればいいなと思います。

それにしても入江くんの『こどものおもちゃ』論を読むのが楽しみだ……